第7話【自由とエシカルの関係性】

第7話【自由とエシカルの関係性】

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こんにちは!

株式会社Lentreeの田畑蓮です。

さて、今回はタイトルの通り、「自由とエシカルの関係性」について書いていきたいと思います。
いきなりですが、「自由」とは、何でしょうか?
これは、かなり哲学的な問いであり、回答することも難しいですよね…。

なので、まずは、広辞苑で調べてみました。

【自由】
①心のままであること。思う通り。自在。古くは、勝手気ままの意に用いた。
②一般的には、責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと。
「広辞苑」より

「自由」の意味を改めて調べてみると、なんだか魅力的な言葉ですよね(笑)
また、「自由」という言葉は、歴史の教科書においても度々使用されており、昔から多くの人々が求めてきたものです。

しかし、ここで考えたいことは、「自由」は本当に良いものなのか?ということです。
フランスの哲学者であるジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル (1905-1980) の言葉で、
「人間は、自由の刑に処せられている」というものがあります。

画像ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル

「人間は、自由の刑に処せられている。」

この言葉を具体例を用いながら、私なりに解説すると…

例えば、あるパーティーに招待された際に、「ドレスコードは自由です。」と伝えられたとします。
「自由」と記されているので、何を着て行っても良いはずなのですが、とても悩みますよね。
「ドレスコードは、単色でジャケット着用をお願いします 。」という指定があった方が楽だったりします。

他にも、打ち合わせの内容を上司に報告する際に、「自由にまとめて。」と言われたら、
どうやってまとめたら良いのか、悩みますよね。
「A4サイズ1枚で議事録をまとめて」と具体的に指示される方が楽だったりします。 

このように、「自由」とは、自己に責任が伴うので、時に不自由であり、
ルールや指示などの制限がある方が人間は楽であるということです。

しかし、これは、決してマイナスなことではないと私は考えています。

なぜなら、この世の美しいものには、「限り」があるからです。

例えば、桜が美しいのも、やがて散りゆくからであり、俳句が趣深いのも文字数に限りがあるから。
生命が尊いのもいずれ失われてしまうものだからです。

画像桜が美しいのは「限り」があるから。
すなわち、有限であるという不自由さは、美しさを創出することに繋がるのです。
さて、これを具体的に、人々の日常生活に落とし込む際に、
エシカル (倫理的) という「限り」を加えてみるのはいかがでしょうか?

例えば、ヴィーガンなど。動物性食品を摂取しないという「限り」を食生活に加えることで、
地球環境への配慮や健康面の豊かさに繋がります。

他にも、プラスチックゴミを削減するためにマイボトルを持ち歩いたり、
エネルギーの無駄遣いをしないために電気をこまめに消したりするなど。
このような行為をすることで、地球環境への配慮だけでなく、精神的な豊かさにも繋がります。

このように、自身の生活にエシカル (倫理的) な「限り」を加えることで、
自身の生活をより美しく彩ることができると思います。

皆さんの人生の中にも、エシカル (倫理的) な「限り」をぜひ加えてみてください!

今回は以上です!

最後までご覧いただきありがとうございました!

来週の投稿もお楽しみに!